南三条を歩いてみた
中島みゆきのアルバム『歌でしか言えない』に収録されている『南三条』という曲の歌詞の一部が、ずっと前から気になっていた。いつか札幌に行って南三条を歩いてみたいと思っていた。
南三条泣きながら走った
胸の中であの雨はやまない
南三条よみがえる夏の日
あの街並みはあとかたもないのに
北海道に行ったことのない私は、この曲を聴いても街の様子の想像も全くつかなかった。そこがどういう雰囲気の場所かさえ全く判らなかった。
今回、生まれて初めて北海道へ足を踏み入れて札幌へ行く機会に恵まれた。短い滞在時間だけど、可能な限りの時間をかけて『南三条』の謎に迫ってみた。一般的に札幌で南三条と言えば誰に聞いても狸小路というアーケード街が頭に浮かぶそうだ。明るくお祭りのような人通りの多い商店街だ。とてもこの中を泣きながら走れるような雰囲気の場所ではない。
常識的に素直に考えれば、この曲の書かれた背景であろう主人公が彼氏に振られて泣きながら走った時代はだいぶ昔だから、現在のようにオシャレで綺麗な街並みではないだろうということだ。
この時期のこの街並みを知っている人から直接話しを聞いたら「呉服屋、繊維屋、雑貨屋、洋品屋などが中心で一時期はかなり寂れた汚く暗い商店街」ということだった。アーケードも当時からあったそうだけど、天窓も照明も今のようにはなく薄暗かったようだ。そして「喫茶店や飲み屋はあった?」と訊いたら「買い物客を当て込んだ食堂はあったけど・・・。」ということだった。でも、とりあえずは誰もが行く商店街ということだった。こういう状況の中で別れ話をして泣きながら走るというのが、どうしても納得がいかない。それにアーケードがあるということから雨の影響もあまりないはずだ。
そこで南三条をもう少し広げて考えみると狸小路より一本南側の広い車道のある通りも、南三条だ。ここならば雨が当たり、狸小路よりも歌詞のリアリティが出てくる。今はオフィスやデパートが立ち並ぶこの辺りに当時、別れ話をするような喫茶店があったのだろうか?短い時間なので普通に歩いて行ける範囲をしらみつぶしに探すわけにもいかないし、見落としてしまうだろう。さらに今存在しても当時にあった保証はないし、その逆に当時あって今はない可能性も高い。まあ、この通りの方が歌詞のイメージには近いかもしれない。
実は南三条と言ってもそれは通り一本の名称で、かなり距離は長い。普通に人が歩いて行ける繁華街の範囲を超えて、バスやタクシーや路面電車を使わないと厳しいような遠くまでずっと道は続いている。もしかしたらこの曲の舞台はみんなの頭に思い浮かぶような繁華街ではないということも考えられる。そうやって考えて捜索範囲を広げると、そこに運命的と思える喫茶店を発見した。なんと、店の前に薪が積み上げられていて、煙突が立っている。薪ストーブが店内に置いてある喫茶店だ。1996年にできた店だから実際に別れ話が展開された店ではないにしろ、中心街ではなく外れの可能性もあると思わせるには十分だった。
正確な住所は南二条で一筋違うが、店を飛び出して大通りに出ればすぐ南三条だ。そしてその通りは並木道となっている。
こういう雰囲気の喫茶店で別れ話をして飛び出して、雨に打たれながら並木道を泣きながら走ったというのが、今回の旅で私の中に形成されたこの曲のイメージだ。
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コメント
「南三条」改めて調べてみました。
http://www.miyuki-lab.jp/bbs/pslog/bbs_f/plgafree157.html
日刊スポーツ北海道版 1991年10月27日付 20面
『「サッポロSNOWY」
南三条 初めて故郷歌う 中島みゆき 28日ニューアルバム発売』
ニューアルバム中の「サッポロSNOWY」「南3条」では、初めてストレートに北海道を歌った。
特に「南3条」は札幌で過ごした学生(藤女子大)時代を思い起こして作った曲。
「飲み屋と商店が、サラリーマンと学生が混とんとしている通りで、何かを求めていた自分、時代を振り返った曲」
との事ですから、すすきのの四条通りか、狸小路でしょうね。
なお、歌詞に出てくる地下鉄の駅は、南北線の「すすきの駅」という事のようです。
投稿: 孔来座亜(analyzer) | 2010.08.13 10:24
■孔来座亜(analyzer)さま:
わざわざ調べていただいて、ありがとうございます。リンク先の掲示板も拝見しました。だいぶ前にこういうことが話されている場所もあったのですねぇ。
今回はすすきの付近の地下鉄駅は素通りして、路面電車に乗ってしまいましたが、また機会があればすすきの駅からラッシュアワーに地下鉄を利用してみたいと思います。
投稿: かわはら | 2010.08.13 11:27
これをお読みになればお判りになると思います
http://kawara-ban.blogspot.jp/2009/04/blog-post_3012.html
当時はジーパン刑事の松田勇作の様なスタイルの若者と若い頃の桃井かおりの様な女性が似合うところで色々なドラマがあった界隈で
大阪アメリカ村 東京原宿 札幌南3条界隈
といった感じの場所です
参考になれば幸いです
投稿: tokumei | 2013.04.09 00:52
■ tokumeiさま:
参考リンクありがとうございます。当時、ジャス喫茶、音楽喫茶がたくさんあったのでしょうね。
原宿、札幌は行ったことがありますが、大阪アメリカ村は行ったことないので、機会があれば行ってみたいと思います。
投稿: かわはら | 2013.04.09 18:02